音を観る「観音」とは
仏教のお経の中に、音を通して悟り
を開く道が、最もスピーディに、
成就に至ると書かれています。
その道のことを、
修練している人のことを、
「観音」という。音を観ると書く。
この「観る」という観点が、
ルッキングなのか、シーなのかで
ニュアンスが変わってくる。
注意深く見ているのか、
眺めているのかの違いがある。
眺めているということと、
見ているというのは、何が違うか。
眺めているとき、外の風景が
飛び込んでくるかのように、
受け身になる。
ああ綺麗な風景だなあ。
ふわっと全体を楽しんでいるかの
ような感覚です。
何が入ってくるか、期待していない
というか、考えていない。
そして、観るというのは、
オペラグラスや望遠鏡で覗きこむか
のように、私が対象となるものに、
意識をフォーカスしている。
この違いが、凄く大きい。
なぜかというと、顕微鏡をのぞき
続ける、フォーカスするというのは
疲れてしまう。
集中する・緊張が高まる方向で、
テンションが高まる。
まず、この2つの違いを頭で
わかっておいて、実際に、
集中して何かをしてみる。
曼荼羅図を観る、
蝋燭の炎を見つめるとか、
これはフォーカスしている練習。
緊張が高まっていきます。
そして、
このことが分かったうえで、
音霊法に取り組んでいくのです。
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スマホ気功教室 音霊法
音をずっとただ聞く。
正座したり座ったりして静かにする
そして、聴覚に意識を向け、
今聞こえている音を聞く。
最初はちょっとした集中力が必要
なのですけど、その後は体を
できるだけリラクゼーションする
感覚で、外に意識を移します。
この辺のニュアンスというのが、
いろいろな感じなんですけど、
ルックとシーの違いです。
まず、自分がいる。
ここは外の世界。音源は、
時計の音とか、滝の音とか、
波の音とか、海辺で座っていたら
波の音がリズミカルに
聞こえるでしょう?
それをただ耳を澄ませて聞くだけ。
至ってシンプル、
簡単な訓練なのです。
ただ聞くのです。
空調の音も材料で使える。
目を閉じて、黙って、
クーラーの音を聞きましょう、
といったら、
それがすでに修練になる。
何よりも素晴らしい最高の
修練法なのです。
対象に向けて意識を振り向ける
集中モードは、疲れちゃう?
そんなに続かないです。
集中している。その次の瞬間、
ただ音を眺めているかのように、
受け入れて聞いているという
モードで聞こえている。
二つのモードを
立ち上げているのです。
体を動かさずただ聞いているけど、
眠って行かないし、
聞いている状態と、
聞こえている状態の、
行ったり来たりになります。
集中が強くなると、
「聞いてる、聞いてる」
フッと緩んでいるときは
「なんか聞こえている」
この2つが、
どちらか判別つかないような、
微妙な感覚に落ち着いて、
いつの間にか時間が経ったって
感じになるわけです。
聞いているか、聞こえているのか、
わからない。これが、脳波が安定し
空に入っていく、脳の状態です。
そうすると自分の心を見つめ出す。
外の世界じゃなく、心そのものを
感じているような感じになる。
かといって、完全に、自分の
インナーマインドというか、
自分の心の中に入ると、
雑念がでてきたり、
映像が出てきたり、
言語が出てきたり、
おしりが痛いなど出てきたりする。
我のほうに集中しすぎてもまずい。
外を聞いているのだから。
一番重要なのは、外と、自分が
つながっているということ。
だから、
内的瞑想に切り替えちゃダメ。
ずーっと外の音を聞いているという
ことを持続していかないといけない。
なにがあっても、受け流す。
雑念があっても、雑念が出てくる
ことを抑えない。そして、
雑念自体を、無視していきます。
音から意識が離れたら、
気づいたら音に戻ればいい。
寝てしまう人は、日常生活で疲れて
いるのだから寝ればいい。
普通に寝るより深く眠れる。
瞑想の訓練をやっていながら、
寝ると、すごく疲れが取れる。
瞑想の時の数分間のほうが、
深く寝られる。
それは心と体を凄く整えていける。
だから、本来の趣旨からみると失敗
だけど、あなた自身の人生からする
と、グッドなのですよ。
こんなに簡単に、休息とリラックス
の効果を得られる訓練法はない。
瞑想をやりながら寝てしまう。
すごくいいと思います。
で、気づいたら音に戻る。
タイマーをかけないほうがいい。
びっくりするから。目覚ましの音が
集中してやっているからガーッ!!
と聞こえるから。
雑念は常に出てくる。その雑念を、
ただうけながすだけ。
気づいたら音に戻ればいいだけ。
音霊法というのは、2つの訓練だと
いっていい。音を集中して、
眺めているように聞き流し、
雑念を受け流していく訓練。
映像が出る人がいる、
体の痒くなる人もいる。
傷みが出る人がいる、
その都度かいてたり、
動いていたりすると、
ずーとその段階から逃れられない。
我慢するのではない。無視する。
どうしても無視できなかったら
かいていい。
そして元にもどったらいい。
でもそれが結構続く。
さっきかいたのにまたかゆくなる。
何もないのにかゆくなる。
ズキズキ痛くなる。
痛風でも捻挫でもない。
でも指とかフシが痛くなる。
そういう体の攻撃といってもいい、
あなたの瞑想を妨害する、
それらのいろいろなことを、
通りすぎていくようにできたとき、
あなたの最初の段階が終わった
ということ。
これが瞑想の最初の段階です。